アーティスト・トーク

伊藤慶二 アーティスト・トーク : 伊藤慶二 x 正村美里・岐阜県美術館 学芸員(現同美術館副館長)

2012年9月1日
(正村) 岐阜県美術館の学芸員の正村と申します。よろしくお願いいたします。
本日はとにかく伊藤慶二さんのお話を引き出すというのが私の役割と思っていますのでレジメを勝手に作りましたが、いろいろな角度から探るということでアーティスト・トークを始めさせていただきたいと思います。
今回の展覧会は会津若松のアルテ・マイスターというところでなさった展覧会をこちらの会場に合わせて新たに展示されたんですけれども、まずは最初に慶二さんにお尋ねしたいと思います。
アルテ・マイスターについて如何でしたでしょうか?
ここの会場で展示されるということとアルテ・マイスターで展示されるということの違いというか、アルテ・マイスターという会社は仏壇・仏具を作っている特殊な会社ですが、今回の震災によって仏壇の修復や修繕であったり、新たに仏壇・仏具が購入されたり、言ってみれば会社が儲かってしまう、そういうことに対する後ろめたさを会社の方々は感じておられて、会社がもっているギャラリーで展覧会を、と考えられた時に伊藤慶二さんにお願いなさったと聞いておりますが。その辺りをお話しいただけますか?
(伊藤) アルテ・マイスターの会場というのは蔵を改装した空間で、皆さんそれぞれ蔵に対するイメージがあると思うんですけれど、あのドシンとした重圧感のある所に展示した時にはこんなもんかなぁ?という思いがあったんですけれども、今回この白い壁に囲まれた空間に並べた時に、全然違って見えてきたんですよ。モノっていうのはこれ程違って見えるのかな?と。空間、環境が変わればモノもそれに備わっていくのかな?っていうのを改めて勉強させてもらったのがこの数寄ギャラリーの空間です。
(正村) 同じ作品が並んでいるのに、勿論新作もありますが、背中に感じる空気というか“霊”のようなものが全然違ったんです。
アルテ・マイスターには私も初日に伺ったんですが、入った瞬間から背中に重いものを感じてですね、今回1階に展示してあります。「水・火・土」を前にして、何て言うんでしょうか、本当に涙が出てくるくらいの重さを感じたんです。ところが、ここへ入ってきた時には、なんとも言えない、すごく開放された気がしまして、こんなにも違うんだとしみじみと感じました。
会津若松という場所は、実際震災の被害にはほとんど遭ってない、ただ、福島の方から被災や原発の関係で皆さん移住して住んでいらっしゃる、そういったところで二次的な震災の影響を感じているとおっしゃっていました。
ところで、この「鎮魂」というタイトルで“祈り”という作品を作っていらっしゃる、この辺りについてをお話いただけますか?
(伊藤) “祈り”のテーマで作品を発表したのが去年の3月岐阜県美術館です。以前からやっている“HIROSHIMA”とか“尺度”とかそういうテーマを総括して並べたんですけれども、最後の所に“祈り”っていうのが入って、結果としては今まで何度も取り上げたテーマがこう一本の線に繋がっていく。今ここに出てるのが県美で並べたときのものなんですけれども、岐阜県美では5点程並べている。この全体から受けることに求めた“祈り”というテーマがまだどうかなというのが不安でまだまだこれからこれは熟知されていくものじゃないかと思います。(写真@《祈り》2011岐阜県美術館)
《祈り》2011岐阜県美術館 《祈り》2011岐阜県美術館 写真@
ここで是非見て欲しいのが上から垂らした「曼荼羅」です。曼荼羅に僕は見立てているんですけど、これは皆さんご存知だと思うんですけど、土をプレスする時に挟み込んだ布です。これには一切手を加えてなくって、ただぶら下げた、それだけのことなんですけれど、実は非常にインパクトを与えてくれるものでまだまだこれからコレを使った作品が展開するんじゃないかな?他にもこれから表現させていくんじゃないかな?っていうことです。
(正村) 前回岐阜県美術館で展覧会をさせていただく前に、個展のお願いに伺ったのがギャルリ百草さんで“面(つら)”シリーズを発表された時でした。2008年だったと思いますけど。
その“面”の作品が皆楽しくてですね。
当時、数年前から慶二さんが油絵で仕事を描き始めたとお聞きして私はてっきりそちらの方面へ行くと思ったわけですね。岐阜県美で展覧会をやる時も実は“面”から展開していく作品がメインになるんだと思っていました。ところが、こちらの“祈り”の方へ転換してしまった。これらの作品を個々によく見ていただくと、小さなかたまりは昔作ったもので、魂(たましい)だと言われたり、塊(かたまり)だと言われていたり、足(そく)が入っていたりと様々な過去が入っていて、ここで集大成されてしまったのではないかと私は一瞬危惧したわけですけれども、ところがアルテ・マイスターのものも含めて更に次の展開に移られた。ということでまた更に一歩先へ行かれてしまったと感じたわけです。
岐阜県美の展覧会をする時に私自身はまだ“面”のところまでしか辿り着いていなかったんですけれども慶二さんは既に次の“祈り”に行ってらっしゃって。今回また“祈り”を更に発展させて土であるとか水をお使いになっていらっしゃる。
この辺りは、やはり会津という場所の存在が大きかったのでしょうか?
(伊藤) そういう地域的なものではなかったですけど。むしろ“土”を取り上げたのは自然と自分たちを写し出してくれるものじゃないかと。
自然から学ぶっていうのはこれの3点。3つのわりと大きな要素があっていいんじゃないかなぁ。そういう解釈でひとつのものにまとめたインスタレーションです。(写真A《水・火・土》2012 アルテマイスター)
《水・火・土》2012 アルテマイスター 写真A
(正村) “祈り”の中には先程も言いましたように伊藤慶二さんの過去の作品が沢山盛り込まれています。
“祈り”という一つのテーマを考えた時に過去の様々な作品が全部そこに集約されているのが今回非常によく分かりまして、ちょっとまとめてみたのが皆さんの手元にあります資料の“作品の変遷を追う”というところです。1973年「HIROSHIMA−骨」というこれは非常に古い頃の作品で、それから「HIROSHIMA土」ですね。年譜と合わせて見ていただくとわかるんですけれども、この骨というのは上から2つ目の白黒の写真になります。
(ここに遊びで一番初期の黒陶作品、1965年の朝日陶芸展クラフト部門に出品されたという黒陶の作品を入れています。)
この今日まで続く作品のシリーズが続いていくわけでこれが骨という作品です。(レジメ3ページ)
それからHIROSHIMAの土というシリーズ。岐阜県美術館でも展示させていただきました。これが続きます。
ここで、1981年39回ファエンツァ国際陶芸展で早くもこの足(そく)が出てくるんですね。(写真B《仏足のゆくえ》1981 ファエンツァ)
《仏足のゆくえ》1981 ファエンツァ 写真B
先程のアルテ・マイスターの写真でご覧いただいた足(そく)がもう既にこの時点で出ているということに実はとても驚いたんですけど。いかがでしょうか?
(伊藤) そうですね。これは、薪窯で焼き上げたものなんですけど。薪窯をやりだしたのはHIROSHIMAの作品で陶板のような作品を作っている時にどうしても薪窯で出来る表情が欲しかった。それが目的で薪窯を作ったんですけれども。
その時に今日来てくれている鯉江良二さんなんかに随分世話になって指導してもらったんです。
この足(そく)の作品はその時に一緒に焼き上げた最初の作品です。
(正村) なぜ、足(そく)だったんでしょうか?
(伊藤) それについては、最近藤森照信さんがこの前の県美の展覧会を見てコメントしてみえるのが、「“足は祈りにつながるんだ。”というのをお前の作品を見て感じた。足ていうのは2つあるじゃないか。ジャコメッティの足がなぜあれほどアンバランスで大きな表現されているのか?足そのものじゃなくて、足から見られる、感じられるものがよく捉えられている。」というような事を言われたんですけれども、そういって言われれば有難く受け入れます。ハハハハッっていうようなことで。こうして30何年経っても形が変わっても足をテーマにしている。う〜ん、何だろ?惚れ込んでいるのか?自分ではより面白いテーマになっている。
(正村) もちろん手もありますけど。手の方が「祈り」には直接的ですよね?
(伊藤) それは言えると思う。
(正村) でも、あえて足である。そして、ちょっとした距離感みたいなもの、自分自身が手で祈るとか、祈ることそのものよりももう少し客観的に見た足、仏、目に見えないけれどもそこにある仏とか。例えばHIROSHIMAもそうですけれども、ご自身が被爆されたわけではないんですけれどもHIROSHIMAという、少し客観視した先のもので非常にテーマ性の強いものを取り上げている。
そういったちょっとした距離感がここにはある。しかしこれについて実は最近はちょっと違ってきているなという気持ちを持っているのですが。
(正村) これは?
(伊藤) 球体ですね。(写真B)
(正村) 球体については?
(伊藤) これのタイトルは「仏足のゆくえ」とついているんですけれども、ひとつの方向づけを足の付け根でというタイトルからくるイメージっていう事で方向性をもたせてあるという。
(正村) 球体は行方を示すもの?
(伊藤) はい。
(正村) 球体自身が祈りでもお使いになっている黒い魂ですよね。
今日につながるものとはそれはちょっと違いますよね。
(伊藤) ちょっと違う。魂(たましい)。
(正村) 「祈り」というテーマから今回は祈りに関連したものを画像として集めているんですけれども。HIROSHIMAに対してもそうですけれども、今回の震災に関してもそうですけれど、根底に、常に反核であるとか、反戦という意味をもった祈りだったのでしょうか?
(伊藤) うん、そう。ごく当たり前に出て来た事で、結果として出て来た反核。反戦にしろ行動的にはそうだったんじゃないかなぁ。それを意識して今日反戦の集会があるから出席するということは無かった。
(正村) これは手として最初の作品でしょうか。(写真C《神の戦歴》1983 サンフランシスコ)
《神の戦歴》1983 サンフランシスコ 写真C
(伊藤) そうですね。
これはサンフランシスコで個展をした時。
(正村) これは向こう(サンフランシスコ)にあるんですね。このタイトルが「神の戦歴」。
(伊藤) 子供じみたようなタイトル。
(正村) ここで“神”という言葉が出てくるものですから。
これが1989年の時の足(そく)です。これは大きいものですか?(写真D《足》1989)
《足》1989 写真D
(伊藤) 40×60位のブロックになってる。それをバラバラに穴窯、薪窯のあちこちに置いて最後にこう積み上げる。それでこれだけ変化がついているって事は結果としては非常に面白くて。これ(右と左の足の凹凸が)逆なんですよね。
(正村) この時の足(そく)というのは?
(伊藤) 仏足。
(正村) これが名古屋市民芸術祭 1992年の作品。これも足(そく)ですか?
(写真E 1992 名古屋市民芸術祭会場風景)
1992 名古屋市民芸術祭会場風景1992 名古屋市民芸術祭会場風景 写真E
(伊藤) 足ですね。
(正村) これはサークルになっていまして、スキャンできなくてページが半分ずつで申し訳ないですが。今まで「HIROSHIMA」であるとか「沈黙」であるとか「尺度」とか、個別のテーマに目をむけて、前回の岐阜県美での展覧会もやったのですが。
一方で、慶二さんの中で足(そく)は個別のテーマと並行してずっと通底してある。常にあったものですか?
(伊藤) そう。やっぱり面白いんですよ。作る事に非常に興味をもたせる形なんですね。
(正村) 足が?それはどういうことなんですか?
(伊藤) ある時、部屋の周囲をずっと足で並べたんです。6間の3間の小屋の周囲を。(写真F 工房まわりの足 1995撮影)
工房まわりの足 1995撮影 写真F
(正村) これですか。
(伊藤) そうそう。
(正村) 1995年4月に私が慶二さんのお宅にお邪魔した時、薪窯の工房に案内していただいて、その建物の周囲にこの足が枯葉にまみれて置いてあったのにビックリして写真を撮ったんです。これは展覧会用ではなくて、自分でお作りになられたものをずっと四方に囲んで並べられたんですよね。
(伊藤) これは面白かった。
(正村) 面白いですね。工房の周りをぐるっと取り巻いていたわけですよね。
(伊藤) 足の形をしているんですけれども、足じゃないないものがこのときにはイメージされて。だからもっと見せ方があるんじゃないか、同じ足をテーマにしたものでもやり方で出てくるんじゃないかなと思うんですけど。
(正村) 足ということではこういった作品もあります。足の見せ方ということで。
(伊藤) これは直径が3m。もうちょっとあるかな。それで真ん中に炎・蝋燭を置いたんです。(写真G 橙々庵(東京北多摩)個展風景 2005)
橙々庵(東京北多摩)個展風景 2005 写真G
(正村) 蝋燭はこの時点で出て来たのですね。
(伊藤) 蝋燭の使いまわしです。
(正村) 屋外の作品として庭を使ったり古民家を使ったりとか。
(伊藤) そうですね。これは芝生の上で。
ちょっと待って?この写真はどこから仕入れてきたの?
(正村) 展覧会の時に資料をごっそりお借りしたうちのものもあれば、その前にいろいろ撮らせていただいたものもあれば、こっそり撮ったものあれば、いろいろです。これはたぶんアルバムから取らせていただいたと思います。
(伊藤) もうバラバラになってあっちこっちに散らばって。へぇ。
(正村) うちの展覧会でも足を並べると当初おっしゃっていたんですよね。こうタイプのものではないかもしれませんが足をサークルに並べたりとか。どんどんプラン変わっていかれて。
(伊藤) 足のイメージが抜けているかもしれませんが。ベースとしてあるのは足です。このときからサイズがだんだん大きくなって40×60位の大きさです。(写真H《足》G数寄にて2009)
《足》G数寄にて2009 写真H
(正村) 足だと思えませんね。私達はいつも拝見していますのでわかりますが、皆さんもひと目で慶二さんの足だと感じるのでしょうか?
これも足(そく)ですね。1995年「ファレンツァの風.」というグループ展でなさった。(写真I《composition 94.1》ファエンツァの風.1995)
《composition 94.1》ファエンツァの風.1995 写真I
(伊藤) これは今岐阜県現代陶芸美術館にある。信楽の陶芸の森で作りました。
(正村) 非常に大きいものですね。
(伊藤) サイズが1m10cm位。
(正村) むしろ人体のようだと思ったのですが。ここ(下部の先端)が足でこれ(上部)が体の部分という。
(伊藤) なるほど。
(正村) 人体を作られるのは当時は非常にめずらしかったので、これは足そのものなんですね。こんな風に私が足をずっと追かけてきたのは、足(そく)に慶二さんの祈りのもとがあるんじゃないかと感じたからなのですが。
もう一つとても気になっているのがこの塊(かたまり)です。一番最初は足の行方ということで足に方向性を見出すものだったのですが、ここでの塊は明らかにちがいますね。(写真J G百草 2002)
G百草 2002 写真J
(伊藤) このときには大きさというのは直径20cmくらいの土を丸めた状態で切って中を削って割れないようにしたのですが。これが床に布を敷いてその上に作品を置いてやりだした最初の頃じなかったかな。今も下にあるような。
(正村) 私が布が敷かれたのを最初に意識して見たのは美濃加茂でした。(写真K 三人展会場 2005美濃加茂市民ミュージアム)
三人展会場 2005美濃加茂市民ミュージアム 写真K
2005年ですから、2002年の百草さんの方が先でしたね。美濃加茂では、ほとんど全部に布が敷かれて。90cmの3枚つづりで2m70ぐらいの大きさで。私は布の意味が解りませんでした。場を作っているということはわかったんですけれど、だったら白い台に置けばいいじゃないかと。美術館的には台座の上に作品を置くというのが、近代以降の正当な方法ですので、なぜ布なんだろう?と思いました。むしろ本当に作品を美しく見せる為のものであれば布ではないだろうと。場を作るだけならもっと他にやり方があったんじゃないかと思ったんですけど。今は非常にしっくりくるものがあるのですが。この時如何でしたか?
(伊藤) この布を敷くことによって聖域というのかな、場所にその精神的なものが自ずと見られるっていう。だから布は布であるんだけれど、このような状態で床に並べて作品が置かれた時にはこの作品が一つの聖域(清い場所)を得た状態で見られるんじゃないかなと。見せて表現できるんじゃないかということで使い出した一つの僕のディスプレイの方法です。
(正村) ここに磁器の小さな四方片がたくさんありまして今下にあるのと同じですね。岐阜県美術館でなさった円空大賞展のときも使用されていましたね?
(写真K 奥の作品)
(伊藤) そうです。
(正村) ここにあるのは足(そく)。こちらにあるのは?
(写真K 手前左側の作品)
(伊藤) 球体ですね。
(正村) 先ほどの塊(かたまり)と同じ形態のものですか。
(伊藤) これはタイトルは「3経の教え」。3つの環境の違いから記憶されるものという孟子の教えっていうのがあって、それを3つの球体の中に表現して、足(そく)は孟子ってこと。
(正村) こちらの作品は?(写真K 手前右側の作品)
(伊藤) これは男と女でした。男と女っていうのは全身にすると素直に表現されているんだけど、それをまじりっけない変な思考が入らないで造形で表現できないものかなと。最初の男と女の作品です。
(正村) 男と女のお話はあらためて別にお聞きしたいと思いますが。
これも足(そく。)(写真L《足》)
《足》 写真L
(伊藤) 下にある。
(正村) 同じ足でも塊(かたまり)のシリーズに通じるものがあるように思っていたんですけど。
戻りますが、百草の塊(かたまり)。こういったものをお作りになったきっかけは?(写真J)
(伊藤) そんな難しい事じゃなくて、本能的に土をこう玉にして遊びの延長で、砂遊びの延長という。それが、今下で並べているような、形で見られればなぁって事であって。
(正村) 私がお尋ねした時に、「魂(たましい)」だっておっしゃっていましたね。
(伊藤) それは、今だから言える事だけど、その当時は本当に土に戯れていたってだけで、やってたと思う。
(正村) 聖域というのは。
(伊藤) それ以前から。
(正村) こうしたかたちで今回の“祈り”作品のルーツを少しづつ探ってみたいと思ってきましたけど、これはまた足(そく)、ここに磁器片があります(作品手前の布上)。円空大賞の時のものですね。この塊は薪窯での焼成ですか?
(写真M 円空大賞展会場 2007 岐阜県美術館)
円空大賞展会場 2007 岐阜県美術館 写真M
(伊藤) そう、真ん中のは。
(正村) 次にですね。「MANDALA」という作品についてですが、これは2007年ギャラリー陶彩でなさった個展で、「MANDALA」というタイトルでなさっていますが。この頃からになるんでしょうか?
(伊藤) これは掛軸風にした作品ですけど。(写真N G陶彩 2007)
G陶彩 2007 写真N
(正村) MANDALAのシリーズ。こちらOとこちらP・Qのシリーズについて。
《MANDARA》2009 G数寄 《MANDARA》2009 G数寄 写真OP
(伊藤) だんだんと名前っていうのかな?そういったものを加えていっている。
(正村) より具体的になってきてますね。
(伊藤) そうだよね。それをする事によってこれが大日如来ですって形を描くよりは文字で素直に書いた方が。むしろ構図、線で細かく書き込んでるんですけども、コンポジションの面白さを見て欲しい。非常に絵の要素が相当入ってる。
(正村) ココOとココPQ、それがこうR繋がったというわけではないんでしょうか?
(写真OP)と(写真Q 慶二さんの工房 2010撮影小寺克彦)
慶二さんの工房 2010撮影小寺克彦 写真Q
(伊藤) はい。
(正村) これはうちの展覧会の為に作った焼く前の作品で、工房で撮られた写真です。実際うちには手前と一番奥が展示されたんですよね。私はこれを人だと思っていたんですけど、むしろ仏なんでしょうか?
(伊藤) 人とか仏っていうよりは形、型。学習して頭を垂れているような、行儀が悪いけど足を前に突き出しているような。人ではなくかたちにつなげた表現ですね。
(正村) これが2010年。この前にはこういう形が。これは厨子屋さん。
(伊藤) これは木を刳り貫いて。
(正村) 厨子屋というのはギャラリーの名前で、もとはアルテ・マイスターさんなんですけど、そこでこういうリクエストがあって、この辺が“祈り”の作品を作る直接的なきっかけになったということですか?
(伊藤) それ以前から仏とか霊に対して学生時代からずっと知りたい知りたいって思っていたというような。
(正村) それは仏教ということですか?哲学ですか?
(伊藤) そうです。20代後半に奈良によく出向いています。
(正村) これも古いですね。何年ぐらい?
(伊藤) 80年代。
(正村) このあたりちょっと攻撃的的というか。一時「HIROSHIMAの土」シリーズにも針金が出ているものがあったりしましたけど、多少ご自身の中で攻撃的な部分があった?
(伊藤) 改めてじゃあ仏足を知るっていうんじゃなくて、僕の体の内側にそれが血液となって流れているような気がするんですよ。だから、作っていくものがどっかそこに繋がって見られるんじゃないかなっていう。だからそれをあまり意識として表に出す事をやってないんですよ。だけど作った結果がそう見られる。モノの結果が。
(正村) この辺りは。以前アトリエに。(写真R 伊藤慶二工房にて撮影2011)
伊藤慶二工房にて撮影2011 写真R
(伊藤) 今下にある。
(正村) 2011年11月頃の写真ですので。これはアルテ・マイスターの方に行ったものでしょうか。今回これの小さいものが展示されていますね。
(写真S 《木幢》2012 アルテマイスター)
《木幢》2012 アルテマイスター 写真S
(伊藤) これのミニが表に置いてあるんですけど、これ(25) は2m位の高さもので。石幢(せきどう)という死者を弔った塔です。それが3面とか5面は結構あって、今まで結構発見されている。7面の塔はごく最近発見されたもので、鎌倉時代までさかのぼらなきゃみられなかったひとつの弔いの塔という事を偶々会津の鎮魂の仕事をしている時に知って、これは焼き物でこの大きさは見せられないと思って木でやった仕事です。
(正村) これはどちらに?
(伊藤) 大きいのは会津にモニュメントと残してある。
(正村) 今回の小さいものも向こうで作ったんですか?
(伊藤) 向こうで作った。古材で作った。
(正村) この写真(26)が慶二さんからお借りしてる沢山の資料の中にモノクロの写真のアルバムがありまして、これはフィルムをそのままベタ焼きした小さなものですが、写真はお寺の壁だったり、木の古い古い扉だけを撮っていたり、あとこういった写真もありました。伊藤慶二さんの「眼」を感じさせる非常に面白いアルバムで、一部は接写しまして画像として展覧会場で流していたものです。おそらく学生時代の頃のものでしょうか。
(伊藤) 学生時代のものです。
(正村) 仏塔などを作っているルーツはやっぱりココにあるんでしょうか?
(伊藤) そうだろうなぁ。
(正村) 特に意識して撮られたわけではないんでしょうね。きっと。
(伊藤) そんなに強いものはなくて、ただ、ただ、興味もってた。好きだったということで。
(正村) 好きでらしたということかな。わかりました。私自身、今回アルテ・マイスターさんの作品とこちらの作品を見て、伊藤慶二さんという方の今後の方向性をまた改めて考えたわけなんですけど、慶二さんの中で今回“鎮魂”というテーマをもちましたが、鎮魂ではあってもやはり通底していくものは、足(そく)であったり、祈りであったり。その辺り、今後どうなりますかっていうとまたはぐらかされそうなので、鎮魂と祈りについてお話しください。
(伊藤) これは、今ずっとやってきた足(そく)っていうテーマがどういう風に形変えていくかな?って事になると思うんですよ。だけど、形が変わる事によってより鎮魂のイメージアップされたものにできればなぁと。そんなに幅広いに人間じゃないから、作るものっていうのは狭い範囲の中でやっていることじゃないかなと思います。だからこのままずっといくんじゃないですか?
(正村) 例えば私たちが、美術館というかより大きな広いスペースを使って一人の個人の方の展覧会を考える時、やはりその方の変遷・移り変わり・バリエーション、起承転結を考える訳です。今、慶二さんが同じ人間だからそんなに変えられないとおっしゃいましたが、私達からすると充分すぎるくらい色々な変遷をされているんですが、今回この“祈り”の中に全てが集約されているのが非常に面白いと思ったわけですね。ですから逆にココで集大成されては困ると前回思ったわけです。今回新しくこのような形で展開がなされているということで、まだまだ先へ行かれるなぁという強い思いを持ちました。
1時間でもう時間が来てしまいましたが、最後に、今回新作をお作りになられていますよね。こちらとこちら。先程「どぉ?違う?」って聞かれましたけどその辺りはいかがですか。
(伊藤) “想い”っていうタイトルでこの1、2点は会津で発表した作品です。ごく最近作ったのはその向こうにある黒いのとこちらにある2点です。まぁ何となく違う。どうこうという事はないんですけど、こんな事なんです。ただ、常に形はそんなに変わるものはないと思うのだけど。
(正村) どうですか。ご自身は変わったと思われたんですよね?
(伊藤) こういう造形になっていっているということが違っているんじゃないの?
(正村) アルテ・マイスターで出すという時の重さとそうじゃない新作とで意味が違いますね。私はそういうのを感じてしまったんですけど。
(伊藤) もっともっとそのタイトルに素直に向かいあっているんじゃないかなという気がします。この“想い”ってタイトルをつけた事自体が。
(正村) “想い”というタイトルは新しいですよね。
(伊藤) 下にあるのは封。“封”は閉じ込める箱もので。しいていえば骨壷なんですけど。“封”で閉じ込めるものを作っていけば違ったものが出来る。まだ、あと平均寿命まで3、4年あるので、その間に何がどう出来るか自分でも楽しみですね。頑張れるだけガンバレっていうわけで。下にある、“火・水・土”じゃないけど、自然の中で自然体に制作できればなぁと思います。
(正村) ありがとうございます。
ちょうどお時間何ですけど、折角なのでもし皆さんからご質問をいただきたいと思います。
質疑応答
(質問) 伊藤さんは薪窯で焼いている作品が沢山ありますけど、薪窯で焼くっていう事はやっぱり先ほどからおっしゃっていた“祈り”に繋がってるってことがあるのかなと思って。その辺りをお聞きしたいですけど。
(伊藤) それは、薪窯を経験した人っていうのは皆なんか感じるものがあると思うんですけど、電気窯とかガス窯と違ってね。細い一本の薪を焚き口に持っていき焚きあげるっていう、そんな時は何の欲もないですけどね。跳ね返ってくる熱さにこたえながら火色みて、僕にとっては焚き込んでいくことは贅沢なことかもしれない。
(お客様) 実は、僕自身一週間前に初めて三日間穴窯を焚いたので非常にそのことが面白くて、鮮明で、今、作品と見比べてそのことが密接に繋がっているのかなと思って見させていただきました。
正村さん・慶二さん長い時間ありがとうございました。
『無断転用禁止』
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