アーティスト・トーク

伊藤慶二 アーティスト・トーク : 伊藤慶二 x 大長智広 愛知県陶磁資料館 学芸員(現京都国立近代美術館主任研究員)

2009年9月12日
(大長) 愛知県陶磁資料館の大長です。このようなトークは、これまでに何回かやってきましたが、実際にやる度に「難しいな」と思うことばかりです。何回やっても慣れませんので、今日も聞きにくい所や話し足りない所などがあるかと思います。後で質問の時間を取りたいと思いますので、そこで色々と聞いていただければと思います。
話に入る前に、この展覧会は数寄さんの10周年記念展という事ですので、まずは、数寄さん開廊10周年おめでとうございます。10周年企画の中でもこの伊藤慶二展はおそらく目玉の企画だと思いますが、先生、準備や打ち合わせの段階で何かそういった数寄さんの期待を感じる事はありましたでしょうか?
(伊藤) そういう事は全く無くて、3年程前に一回ここで展覧会をやっているのでその時と同じ様に1階が器で2階が造形でということで。
(大長) この数寄の展示の空間ですが、今日私がここへ来て展示を見たときに、すごく考え抜かれてスッキリと調和がとれたとても良い展示になっていると思いました。ギャラリー数寄の展示空間は3つありますが、それぞれ質の違う3つの空間が上手くまとめ上げてられているように思います。先生はこのような空間に対する意識や感性が非常に優れていると思うのですが、先生にとってこの空間はやり易かったですか?やりにくかったですか?
(伊藤) 前回もこの3つの空間をそれぞれのタイトルで埋めさせてもらったので、慣れたと言うとへんないい方だけど、僕にとっては使い易い空間ですね。
1階と2階があって上がってくると違ったものが見えてくる。階段を上がりながら何があるだろう?とワクワク興味を持たせる所がいい試みが出来たと思う。
(大長) 今回の展示から少し離れますけれども、先生がよく展覧会をやられるギャルリ百草さんや、皆さんご記憶に新しいと思いますが、去年の「土から生える」という展覧会などを見ると、やはり先生は空間に対して、その捉え方に独特の感性をお持ちだと思います。「土から生える」は、美濃の多治見、土岐、瑞浪の色々な場所で開催された現代美術の展覧会ですけれども、その時の展示を今思い出しても、独特の感性で場を捉える眼に優れているところがあるように感じられます。ここで、先生が担当された小山冨士夫さんの花の木窯と多治見の市之倉の展示について教えていただけたらと思うのですが。
(伊藤) その時の会場は小山さんの花の木窯と戦後間もなく仕事をやめてしまった仕事場の空間を使わせてもらって、とにかく手付かずで小山さんの窯場の方は薪を井桁に積み上げていってちょうど窯の後から西日が強く差し込んできたので、薪の間から光が差し込んでくる。それを見た時に何とかなるんじゃないかな?と思った。何人か若い人達に手伝ってもらって作りあげた即興のものです。
市ノ倉の方は以前百草でやった尺度シリーズの中の作品を何点か展示したわけですけど、あそこはたぶんえんごろを積み上げたところじゃないかと思うんですけど、1mおきくらいに間仕切りがした柱が立っていたのを利用して作品をその間に1点づつ差し込んでいった。だからほとんど手を加えずに物が入っていった。あるところは平面的な空間に光を差し込んだ。僕にとってはそういう空間をどういう風に扱うことなので、この数寄の空間でも下と上では僕にとっては別の空間、全く違って僕には見える。だから下の作品を2階へ展示するっていうのはちょっと難しいんじゃないかな。レイアウトは平面で充分に検討しますから・・・。
(大長) その時の展示を実際に見られた方はお解かりかと思いますが、先生が作品を通じて捉え、働きかけた空間に対して、私達見る側がその空間の中に実際に入った時に、なんだか空間に捉えられたような面白い身体感覚を覚えるのは、先生が自分達の身体性であるとか人間の感覚といったものを基盤にして空間を捉えていっているからではないのかなと思います。
数寄の空間は1階と2階に分かれていますが、階段を上っていく時に空間の質の変化があるといった空間の捉え方をみても、先生がただ空間を空間として、単純にそこにあらかじめ決まった空間がある、として捉えるのではなく、人が移動する、とか人の視覚の変化や動きの変化を通じて得られる感覚などで空間を捉えていることがわかります。市ノ倉のモロの展示では、手を広げた位の間隔で5つ6つぐらいの区切られた空間があったと思うんですけど、先生はそれぞれの空間に対して意味のある働きかけを行っていたかと思います。
今回、2階の部屋へ上がってきて眼に飛び込んでくる展示についても、先程展示に時間がかかりましたか?と質問しました所、ほとんど時間はかかっていないという答えだったのですけれど、非常によく計算されている。それは時間をかけてどうしようかと悩み、図面を引くというのではなくて、恐らく今までの経験からパッと決まってしまうことの裏にある計算だといえるわけですが、今回の展示でまず2階についていえば、展示が難しかった所は特にどこかありますでしょうか?
(伊藤) 立体の場合は四方に白い壁があるのでその壁をどう処理するか?という事で、以前やっていた平面の表現を取り入れたわけです。壁に飾ってあるのは「拓本シリーズ」なんです。拓本というのはモノを写すという事で次元の違った表現がされるのではないかと。
この布なんかは製土工場のプレスで土を挟み込んで水分を絞り込む時に使っていた布です。それは土が生地に染み込んでこの穴の周囲の所に鉄管が通っていて。だから鉄が錆びて酸化した時のが何年か経ってこの様にコピーされた。
それを僕は写すと解釈している。だから物が写されるってのは人工的でなく自然なかたちで写すされたものの中に美しさを見出す。これは新しい美の発見につながっていくんじゃないかな?
(大長) 今、モノを写すことが話題に上りましたが、ただ単に何かを紙などに写すだけでは作品にならないと思うんですけれど、先生の作品の場合は、その時々の解釈の仕方が重要なポイントになっているかと思います。解釈という事でいえば、下の展示室で富士山を描いた一連の皿が10枚と、その横の壁面に大きな皿が4枚掛かっていたと思います。ああいった作品でも、先生なりの解釈がかなりの部分で関係していると思いますが、その辺りのイメージはどういったものでしょうか。
(伊藤) あの富士山は北斎の富士百景がヒントでとりあえず今回10枚描けたのですが、今後ずっと続く仕事じゃないかな?又続けたい仕事です。鉄の黒で描いた楕円のプレートの作品は風景。家があって植物があって山があってそんな構成です。単独的に見て家じゃないかっていうんだけど、それを横に繋げた時に物語が出てくる。そんなイメージで僕は描いている。だから昔織部が山の中にいて千鳥を描いたっていうのもそれを書いた人がどこかで見たというイメージがあそこに現れているのじゃないかな。ものを描写するっていう事はある時に印象受けた形が力強く残っていて形として表現されているのではないか。
(大長) 今、織部という話がでたのですが、4点の楕円のプレートの中で一番右が織部でその隣が唐津。先ほど空間の作り方が身体的な感覚で彩られていると言いましたが、この4枚のプレートの構成を見てもそういう事がすごく感じられるわけですね。その続きで言うと、左側の2点に描かれている家は、稲葺きか茅葺きのような古代の家と少し近代的な民家、それに対しての唐津と織部。まさに生活感情や記憶といったものを象徴しているように感じられますが、こうしたちょっとした構成にも先生の解釈が入っていると思うわけです。先生の制作は、そうしたイメージを土という素材を通じて現していくわけですが、土という素材そのものが持っている記憶とか陶磁器に関係するイメージに対峙しながら絵や模様などの装飾をほどこしていく事で、現在まで人類が培ってきた記憶や経験といったものが凝縮され、作品を通じて象徴的に表されていると思います。それはやはり富士山のシリーズに関しても言える事です。
富士山の中で印象的だったのが、瞳の中に富士山が映っているという図柄がありますが、その中で、見る、見られるという複合的な関係が暗示的に表されているということです。先生個人の私的な感覚だけでなく、そこに働きかける他者の存在を知覚していることがあの何気ない所からも意識させられる。つまりそうした感覚が先生の世界観の核の一つとして存在しているということですが、それは今回、参考品というか古い道具類なんかも展示していますけど、そういうところにも繋がってくることではないかと思われます。古い道具に関しての興味というか、先生が抱いている感覚とか意識とかそういう事ありますか?
(伊藤) あれはほとんどか現代のモノで別に古いモノではない。ただそれが美しいかどうかっていう事で僕は選んでいる。形が美しかったり表現されたものが良かったり。あの中で呉須の印判の皿はゴム印を作っての唐子の模様を描いてある皿はその上に松の木を3方から描いてある。それはその職人の即興でやられた仕事だと思う。個人的に言えば彼のプライベートなものになっているのではないか?ただそれを職人が印判を押すだけではなくてそういう気持ちにさせるっていうのが。それがすごくよく僕には感じられて大切なコレクションの1つです。あと鉄鉢とガラスは形が共通しているものが僕には見られる。技術的に鉄は鍛金で作られているしガラスにしても吹きで作っているんじゃないかと思う。その職人の技・根気がすごく感じられるもの。大衆的なものは瓦は沖縄の瓦です。注器はたぶん銅で作られている。あれは油を注入したものじゃなかな?あれを買った時は30そこそこの歳で。道具屋の天上からぶら下がっていた状態で見たわけなんですけど、それが今だかつて注器の形の美しさが印象的に残っているものなんです。
(大長) 今回、先生の個展の中にこのような参考品をあわせて展示してあるのは非常に面白いし、その意味や効果をかなり考えられてのことだと思います。合わせて、学生時代の油絵だとか、ピカソ・クレーとかのスケッチ・デッサンの習作も展示していますけど、一連の習作と道具類を個展という空間に展示した、伊藤慶二の世界を見せる時に一緒にああいったものを展示したという事は、かなりの意図や重要な意味が込められているように思います。この辺りはいかがでしょうか?
(伊藤) 油にしてもクロッキーにしても20代後半に描いた仕事で。先程会場構成・空間構成という事を話したのですが僕はあまり意識していないんだけど、ああいったモンドリアンのコピーをしている事がすごく僕にはベースになっているんじゃないかな。ましてや幾何学的な表現が何でもないコマ状のものとサイコロ状のものを描けばいいものでもなかったし、ただ作家の好みとして彼の作品に興味があってそこまでやっている。それがこういう50年ちょっと久しぶりに引っ張り出して見たのですがその時の鮮度が今でもそんなに薄れているもんでもない。クロッキーもそんな風に見えてきて。結構いい勉強していたんだなぁと自分では思っている。
なぜ僕がそこに現代のコレクションと習作として皆さんに見てもらおうとしたかったかというと、ただ焼き物は土を練っていればいいものではないという事。それを知るのは1つの提案になる気がして。だから若い時に色々な分野のアートに挑戦するのもいいんじゃないかと。ただ 土ぐれでなくてペンを持ったり筆をもったりして色を使って表現するのもやってみれば後からあれが良かったと思いつくこともあるんじゃないかという若い人達に対する提案です。
(大長) おそらく油絵は学生時代のものだと思いますが、その頃に影響を受けた作家、興味をもった作家、学んだ事等々もう少しお話していただけると、現在の先生の仕事に対する過去の経験といったもののイメージが、ここにいる皆さんにも繋がってくると思うのですが。
(伊藤) 当時学んだ学校では山口長男、麻生三郎、森芳雄、鈴木信太郎とか具象の作家と抽象の作家の人達が結構来て教鞭をとっていた。それも学校を選ぶ1つの理由になった。その山口教室へ潜り込んで行って勝手に教わるって事もやりました。そういう事がその後に土をいじり出すわけなんですけどやっていた事がずっと自信に繋がっていくのかな?だから自信っていうのは当たり前の焼物をやる人じゃないぞという自負が自分なりに見えてきて出たんじゃないかな?これは勝手な事で第三者からみれば何だそんな事ないと思うかもしれない。そんな事で抽象画にのめり込んだのはその前に印象派の作品が好きで確かセザンヌがすべての自然は円柱と三角推と球体から構成されているというそんな解釈があって、ブラック・ピカソなんかもキュビズムという立体派の表現をやり出す。そういう製作過程を自分なりの目として見てゆくと実際それに手をつけたくなる。それは本能で結構繰り返されてて、今の美しいモノへの判断する基礎となっていると思う。
(大長) 美しいモノの判断ということを先生は何度も言われますが、先生のこれまでの過程や学生時代に学んだ事などをあわせて考えていきますと、やはりイメージを形にしていくうえで重要になる構成とか、そういうものに対する十分なトレーニングを積んできているような気がします。
私はよく個展などに出かけていろいろな作品を見て歩くんですけど、その時、作品に形が無いなと思うことがかなりある。いや、形はあるじゃないかと言われればあるんですが・・。これは、作家本人が形が何かを構成する、形を構築していくという事を知らないで、単純にアイデアとか思いつきで土を触って焼いて、それが何か作品になっていると思ってしまっているという所があるんじゃないかと見てまして。その意味で、先生の学生時代の油絵とか習作などを見ることができる今回の展示は、形を構成していく、空間を構成していく、自分のイメージを作品にしていくという事のトレーニングの重要性を示してくれていると思います。それに油絵はモンドリアンだと言われましたけど、確かに四角いプリントを組み合わせてやっただけと言えばやっただけかもしれませんが、プリントの大小とか色の配列とかに対する意識は、ただモンドリアンをコピーしただけではないように思うのですが、その辺りの意識はどうだったんでしょうか?
(伊藤) モンドリアンの画集を横に置いて色をベタベタ塗っていくというのも1つの方法かもしれないけど僕の場合は、モンドリアンの作品を見て叩きつけられたイメージが一度描きだすと二度と彼の原画を見る事は無くて最後まで最初に見た強い印象を表現したという事なので、じゃああれがモンドリアンの構成された絵であるかと言うとあながちそうじゃなくて、あれは僕のイメージもあの中にモンドリアンを通して入っている自身はあります。
(大長) 今回、油絵が2点出ていますけど、作品を見ると同じようであって違う。その違いの中に先生がいうイメージと、イメージを形にするためのトレーニングを積む上で大事なポイントがあると思います。あのような連作は当時かなり作られたのですか
(伊藤) いやあまりやっていない。あれは10点くらい描いているのかな。あとあれの後は反具象な表現になっていく訳なんだけど。具象的・反具象的・抽象的な要素も組み込んだものである訳なんだけど、それがモンドリアンの抽象的表現のその純真さをあそこに僕は感じていた訳で抽象的なものをそれにあの具象的なものを差し込んでいく事は技法としても表現としては僕なりの解釈で新しい意味合いを持たせたんじゃないか。残念な事にそれがどこに行ってしまったのか出てこない。今回はお見せする事が出来なかったんですけど出てきた時にお見せする事が出来ると思う。
(大長) 今、抽象や具象とおっしゃいましたが、この抽象と具象を自分の中でうまく消化していったことが、恐らく今回の展示であるとか、先生の作品世界に繋がってくるのではないかと思います。
トークの最初に展示の事を言ったのでまた話を展示に戻しますと、最初に展示がとても計算されているように思うといいました。この部屋に入って入口に小さいトルソーがあります。あれは空間を意識させる上で非常に効果的なものだと思います。それは中央に立体的でもっとボリュームがあるものが置かれていることとの対比からもいえます。ボリュームのある作品とのつながり、対比で言いますと、面シリーズの作品を高い台の上に展示したことと床に置いたこととの対比、展示台は四角だけれども、床に置いた作品の周囲を覆う金網は丸いとか、金網で覆った下半分に面シリーズの作品を置いて上半分の空間を空けているとか・・。こんな対比のことを言い出したらもっとあって、男女の関係ということもそうですし、体だけの作品と体に首が乗っている作品ということの対比もあります。こんな様々な対比を通じて空間が作られていますので、部屋に入った時に見える空間や作品同士の関係が非常に計算されていると思ったわけです。それは壁に掛かっている絵でも同じで、左側にかかっている青と黄色の絵に対してその隣の四角い枠だけの絵、色の対比もあれば、中の点々があるかないかという対比などもあります。言い出すときりがないんですが、こういった細かな所の対比(コントラスト)、構成であるとかの連鎖が全体の空間につながって、身体的な感覚で統制することで空間が生きているのではないかと思います。
そしてこれは制作する方に対してどう聞いていいのかわからないんですけど。先生にとっての完成したイメージというのは、例えばやきものであれば窯から出たら終わりという訳ではないように思うんですけど、その辺りはどこまでのイメージを持って制作にあたられているのですか?
(伊藤) 完成が100%とすれば土の場合60〜70%の表現で窯から出て「ヨシ!」という訳ではなくて、ここにどうしようか?次にそれを次に変形させる時はそれをベースにしてもう1つ構造を作るとか。結構100%完成されたものは窯からは僕の場合出てこない。平面の場合もここでどうのこうのという訳ではなく納得するまで墨を重ねていったり、叩く道具を変えてみたりして、まぁいいだろうという所で終わっている。そのまぁいいだろうがその完成度から言えば80%位であるかもしれないし、100%超えてるかもしれないし、それは鑑賞される人達のジャッジという所もある。
(大長) 完成についてのイメージを聞きましたので、次に制作のスタートというか、作品を作ろうという時の取りかかりはどのような感じで進むのでしょうか?
(伊藤) 色っていうのは下にはたくさん富士拾景には色を使っているんですけど、こういう立体の作品には色が入っていかない。だから非常に簡単なモノクロで形が非常に整備されてしまっている。だから、この黒にしても普通の釉薬とは違っていて独自で開発した黒なんでたぶん釉薬の感じは受けられないと思う。それがこの黒が持っている絵の具で言えば黒と赤を少し混ぜたようなところの感触・色というようなものがこの黒をベースにして他の有彩色が入ってくるような気がする。だから、全くカラフルなものにはならないにしても、例えば部分的にこの人の像なんか顔は何となくピンク帯びてくるようなイメージで感じてもらえば。同じ黒にしても顔から胴につながったグラデーションは多少意識して変えている。黒一色の表現でもないという事なんです。
(大長) 今 黒によるグラデーションの話がでましたが、さらに色について言うと、1階に展示してある器などは色を色々使っている。上絵のもの、例えば富士山の連作なんかをみると、結構カラフルな印象を受けるんですけど、実際にはそう色数を沢山使っている訳でも無いですよね。
(伊藤) ブルーと赤と黒かな。ベンガルの線とか筆書きの線とか細い線ですと筆で描いたものもあればペン竺のものもある。それぞれの道具によって表情も違ってくるし見られる方も何となく硬い線だとか感じられるのはペン竺で描いた方じゃないかな。だから 道具の選択によって線にしても表情が違ってくる。
(大長) 道具の選択というのは。
(伊藤) 下にある上絵の富士山の絵、あそこに「いろはに」もそうなんだけど下にある上絵は黒で骨書きをしてその間に色を埋め込んでいる。その骨書きを細い筆で慎重に震えながら描く線とペン先で思い切って描く線では全然違ってくる。
(大長) 今は絵を描く時の道具の事ですけど、器形など形に対する働きかけで何か意識する所はありますか?
(伊藤) ここにあるモノはほとんどひねりの技法を使っているんですけど普通のひねりは縒り状にした丸いもの積み上げていくのですが、僕の場合短冊状にしたものを積み上げていく。だから中には横に層が入ったものが見えてくる。それは縒りでは当然できない。元の成形方法から必然的に出てくる。それを別に意識すると醜くなってしまうので後からそうだったのかと。それを削ってしまえば綺麗なモノになるけど、ハンドテクスチャーとして残す。出来るだけ従来の技法を後退か前進か分からないんだけどもあまり習った方法だけじゃなくて自分の作ろうとする形にそった成形方法を選択する。創り出していく事でやっている。
(大長) 成形技術ということでいえば、先生の場合、轆轤を挽いたり、今お話があったように短冊を積んで形を作ったりされるわけですけど。技術という視点で下に展示してある道具類を見ると、一見しただけでは見過ごしてしまうような経験に裏打ちされたかなり高い技術が使われている気がします。下の先生のコレクションについて技術的、経験的な視点で感じる事はありますか?
(伊藤) 僕は焼き物の場合、技術は器を作る事で教わるんじゃないかと思う。まず器を初期に作りだす人はひねりでやるかもしれないし、轆轤でやるかもしれない。轆轤の技術にしても1個作って楽しんでいるのとは違って数作る可能性のあるモノ、その職人たちが持っている技術っていうのは例えば湯のみ1日200個ひく。そういう事を挑戦する事も技術をマスターする上で非常に大事な事ではないか。ひねりにしても轆轤にしても器を作っている事でその技術が習得されていく。
(大長) それはただ機械的に200個挽けばいいというものでないですよね。そこが重要になると思いますので、ただ轆轤を挽くのか、自分に必要な技術・感覚を習得する為に挽くのかといった違いについてアドバイスをいただけますか?
(伊藤) 数引けはいいというのではなくて、200っていう事で実際に轆轤でやってみると手の動き、指の動きが訓練されてくる。最初に土玉からギュッと引き上げた時の感覚がごく当たり前に土が上がってくる。それは訓練だと思う。それは数作る事で習得される1つの方法ではないかと思う。数作れば良いとただそれだけでやっている人もいるかもしれない。だけどそれには個人差があってそれには指の動き、手の動きを感じた時「あぁ こういうものか」と轆轤から教わるって事はすごく大事なことじゃないかなと思う。それが200個って事に数にこだわる訳ではないけど、当時の京都の職人さん達は小さな工房でやってたわけですけど、板も三尺の1mちょっとの板で、長い板をふりまわせるところがなくて、そこの轆轤場で土を揉むから時間かけてひきあげていく工程で200というのが単位になって技術を教わるのではないか。
(大長) 少し焼き物から離れて下に展示してある道具のコレクションに話を移します。数を作ったということでいえば、鉄鉢とか吹きのガラスの器も何百、何千と作った中の1つだと思うんですけど、そこでは技術の粋というか作った人の感覚が凝縮されてあそにあると思います。例えばガラスの作品は、先日先生のお宅へ打ち合わせにお邪魔した時に、あのガラスを見せられて非常に美しさと洗練さを感じました。吹きの技術の高さもそうですけど、ガラスの質の選択それ自体もですね。少し不透明な感じの色、形、そして何より足の付け方が洗練されている。あの位置にあの形でしか付けようがないと思えるような付け方がなされている。それに足の付け方それ自体も非常に上手いと思ったんですけど、この感覚って合ってますか?
(伊藤) 僕もそれは感じています。あれを見た時には感じて実際それを見た時アレは蝿取りなんですけど一日にたぶん100単位で吹いたんじゃないかな?中にはガラスの透明度が不自然な形で出来てくるものもあると思う。それは100個作れば90%ぐらい出来れば良しとする作る腕が訓練されてきているんじゃないか。それだからあれだけのものが僕らがこれは蝿取りの器ですというだけの事以前にその美しさを感じさせるモノになっている。技の巧みさということは1個だけ作って云々ではなくてやっぱりある程度数作ってこなすって事が技術的に高揚するであろうし感覚的にも発展するんだろうし、より焼き物の場合は技術は器を作る事によって学ぶであるというのが僕の定義なんです。だから最初から変な形を作って云々ってのも結果としてゲテモノとなってしまうんじゃないかな。
(大長) ゲテモノということが今お話に出ましたが、そのことに関連してお聞きしたいことがあります。今回の展示に先生の急須や注器があれば話がしやすかったんですけど、先日の打ち合わせの時に先生がかつて務めていた意匠研の課題で「急須に関する情報を集めて来い」ということをやったとおっしゃられましたが、まずその辺りを説明していただけませんか?
(伊藤) 僕は形を創り出したころから非常に注器に興味があって、土瓶や急須を創り出した訳ですけど、その時に教わった僕が焼き物を始めた頃の恩師である日根野作三先生が「急須作るんだったら青木木米を勉強しろ」と「青木木米を知らずして急須作るべからず」というすごいお叱りを受けたんです。青木木米という人は江戸末の中国の古陶から技術の再現で高く評価されている人でその人の作っている特に急須なんかは中国の技法で表現した交趾っていうような色を沢山使ったものとか、もう1つそれとは全く反対の南蛮で、焼〆、その2点を見ると同じ木米が作ったのかな?という不自然さを感じるって事は彼は技術に応じて形を決めていた人じゃないかな。南蛮の焼〆なんか非常にシンプルな形をしている。もう1つ中国の技法を取り入れたものは何となく技法的に走っているような気がしないでもないかな。興味持つのは彼の南蛮手のシンプルな形で創り出している。ただそれだけではなくて、木米という人は色絵についても九谷辺りとか関係していて沢山の勉強しているし、どうしてあの人がそういう注器に興味を持ったのかは僕にはよく分かりません。だけど、あの形の面白さっていうのは僕と木米は共通した感覚があるんじゃないかと自負しています。それが木米を知る勉強しなさいと言われた事で、それともう1つ、急須っていうのは美術をやる人達がギリシャ彫刻をデッサンをするのと同じように焼ものの基本的造形を表現するのはデッサンと同じではないか。だから意匠研にいた頃急須は後半に作るんですけど、構成されたプロポーションを理解する意味で指導したことがあります。
(大長) 急須が焼き物をやる人にとってデッサンみたいなものだっていうのはやっぱりパーツが多いからですか。急須には胴があって手があって蓋があって注ぎ口もあって・・。パーツそれ自体の良さだけでなくて、バランスや構成もひっくるめてのことだと思うんですけど、その感覚を先生は木米から学んだということですか。
(伊藤) そうですね。具体的には木米のあの急須から学んで、後から常滑の朱泥、四日市の万古焼とかああいう土味を還元と酸化で両極端に表現したものもあるし、常滑の場合は轆轤成形が多いのだけど万古の場合は木型を使って形を作っているというそういう他の技法を取り入れているという点では、むしろ万古の方が発達しているのではないかと思う。だから常滑の急須は相変わらず赤っぽいものであるけど、万古の場合は過去にそういう技術的な開発をしようとしているという姿勢というのがやっぱり見えてくるような気がする。
(大長) 独自の技術というのは、自分達の作りたいものを創り出していくための手段という感覚ですね。技術に関して言うと、中国の急須というのは、あれはパンパン技法と言われるように叩いて板を作り、さらに叩きながら板を組み合わせて作っていきます。それが日本に入ってきて京都だとか常滑、萬古へ伝わった時にそれぞれの地域独自の技術の変化と形態の変化が起こるわけです。形という事で言えば木米なんかの急須は取手がかなり上向きについています。あれは涼炉に直接火にかけていたという当時の名残があって、取手が横向きだと手が火に近くて熱いという事があると言われています。ただし、そうした形態も状況とともに変わり、技術とバランスを修整していく中で最後に木型の萬古の急須が出来たということもできます。
先程ガラスの作品について足の付け方という事に触れましたけど、急須も取手のつけ方1つ、口のつけ方1つが重要になってきます。これも技術や感覚、構成などと関係してくると思うんですけど、その辺りについて、先生が色々なものを作っていく中でどのようにお考えですか?
(伊藤) 今の事で急須っていうのは胴・蓋・口・手と複雑なパーツをまとめて1つのかたちにするんですけど、一番バランスの悪いっていうのは、胴の口の水平線上より注口の先が下がっているもの。コレはどんな胴の形をしていてもだらしない形に見える。そのだらしないっていうのはお湯が上手く切れるとかそうじゃなくて人間の感情のうちのだらしなさ。そういうつけ位置の違いによって感じさせられる。勿論注口が上向きにつきすぎていればそれは全く反対に見えてくる。急須1つだとそれぞれのパーツのつけ方で先程も端の位置が上の位置になってくるという事は使用上の事でそうなってきている事もあるんだろうけど、だけどそれは上になったにしろ全体の形を崩さないものでまとめている所が学ぶてき点が結果多いんじゃないかなと思う。
(大長) すでに予定の1時間が過ぎてしまいましたので、ここで何か質問があればお受けしたいと思います。
質疑応答1
(質問) 学生時代に西洋美術を学ばれたと思いますが、日本美術とか古代に対する意識とか興味を持たれたのはいつごろからですか。
(伊藤) 学生時代からずっと続いてます。例えば明日香(飛鳥)の石像仏とか埴輪の一部とかは埋蔵品として作られているわけで埴輪の品種と種類の多さに驚いたことがあります。明日香の石像仏にしてもどうしてここにこんなものあるんだというそういう不自然さを感じさせる巨大な石造物もあるわけですが、それがどうしてあるかという意味よりもそのもの自体から受ける存在感、威圧感とかが好きで原始美術には大変な興味あります。
(質問) 書はどうなんでしょうか。
(伊藤) 書は自我流で甲骨文字なんかは非常に面白い形を文字をつくっているけど、あれも印刻をやる人なんかストレートに形も写しているけどもう少しあれを引っくり返したらもっと不思議な形か出てくるんじゃないかと思う。個人的には良寛の書は好きです。良寛の晩年に書いてる書なんか彼は楷書も理解して実際に書いているし草書もやってるし非常に流れるような線の中にはねる所は楷書の力強さがでているような所があって、現代の書はチョットわからないです。
(質問) 最初の話の中に見立てという言葉が出てましたけど、見立てというとお茶道具なんかでよく古いものを写して例えば利休も見立てをやってたわけだし魯山人なんか見立てで上手くやってかれた方だと思うのですが見立を慶二さんの中でどういうふうに思われるか。それとお茶に対して最近抹茶茶碗なども作ってみえますが日根野先生にすごく厳しく言われて抹茶茶碗は60過ぎてからしか作っていけないとか言われてそう思っていたと前に話されたと思うのですがその2点お聞きしたいと思います。
(伊藤) 見立ていうのはその人の美意識によって選択されるものだと思う。現代のモノがより美しいかというと決してそうではない。むしろ時代を先走った所のモノがある時突然目にした時こんなモノがあれはこんな風に使ってみたいなというそれは全く個人差なものじゃないか。例えば利休が井戸茶碗を朝鮮の雑器から見出すわけですがそれも利休の眼力によってなされた事ではないかと思う。茶碗ていうのは日根野先生が定義付けた中には適当な窪みがあって片手で操作できる重さ・感触その2つの条件があればあとはもう何もいらないと。だけどその形がいかに貴賓があり優雅さを感じさせるものであるかというのがより大切、逆にウエートが大きくなってくる。それが茶碗といわれている。今の人が茶碗を作る時にどんな製作意図であの形を作っているか理解できない。
(大長) 今、見立てという話がでましたけれど、それについてちょっと。私が最近興味を持っているものに、生態心理学という分野の考え方があります。それは環境には意味があってその意味の連続、連鎖の中で私たちは生活しているという考え方です。
環境に意味があるということは、よくわからないかもしれませんが、例えば、今、私達が歩くとき硬い平らなところを基本的に選んで歩いている。そして階段とエスカレーターがあると楽な方、移動しやすい方を無意識に選んでいる。このように環境には行動を導くような意味があるわけです。環境には硬い所から大気に至るまでの変化、つまり大地という一番硬い所から段々柔らかいもの、一番上に大気というか空気に至るまでのレイアウトの変化があります。そしてそれを支える縦方向の重力と水平方向の変化もあります。そのために窪みがあれば水が溜まりますし、逆に窪みというのは水を溜めるという意味を誘発するものでもあるわけです。
ここでの環境というのは、一般的に言われている自然だとかそういうものだけを指すのではなくて、人工的に作られたものであるとかそういうあらゆる身の回りのものを指していまして、そのそれぞれに意味と行動を誘発する要素があるわけです。例えば、今、私たちは椅子に座っていますけど、椅子は座るモノかと言えば、それだけでなくて背もたれに上着をかけるという行動を誘発するモノでもあるわけです。このように、モノというか、環境が行動を誘発するという事を考えますと、見立てということも同じです。お茶を点てる為のモノとか、お湯を注ぐ為のものというあらかじめ限定された機能だけをいうのではなくて、そこには実に色々な意味と引き出しがいっぱい隠れているわけですが、それがわかりにくくなっているのは、たまたま名前として抹茶茶碗などの名前がつけられているからだと思います。見立てというのは、私たちが実際には知らないうちにものの多様な意味を発見していく行為ではないかなと思っています。このように私達にとって、実は感覚のレベルでは知っているけど、意識では知らないという物事が環境の中には沢山あって、その新たな発見を作品として表しているのが伊藤慶二さん、先生の制作というものじゃないかなと思っています。
今日、トークの最初で先生の作品が人間の感覚的な基盤に由来するように思うといった話をしましたけれども、こうやってみると、例えば皆さんの後ろに展示してある金網の作品なんかも地面の上に人がいて、その上に覆いがあって、その上の空間が空いているということ。これは半分に区切った上と下の対比やコントラストということもありますけど、その構成には、自分達の上に広がるこの大気の空虚な空間とかそういうものも凝縮された形であそこに現されているような感じもするわけです。その他のものは台の上に乗っている。下の台の硬い面の上に重たい作品が乗っている。そうしたいろいろな構成を見ていくと、先生は環境の意味というものを無意識的に捉えてうまく現していることがよくわかります。このような環境の意味を発見していくような感覚があるからこそ、器を作ってもオブジェを作っても共通する先生の世界観が存在しているんじゃないのかな、と思っています。
今の話は自分の中でもまだまだ上手く整理できていない所なので、何かよくわからない、余計に疑問が湧いたという方がおられるかとお思いますが、このあとの交流会で質問していただけたらと思います。
長々としゃべってしまいましたが、時間もかなり過ぎてしまいましたので、最後に先生から一言いただければと思います。
(伊藤) 長い時間ありがとうございました。多少僕のモノに対する思考のようなものが理解されれば各自の制作に対しての励みにして頂きたい。
今日はどうもありがとうございました。
『無断転用禁止』
数寄マーク
e-mail info@gallerysuki.com

トップページに戻る