アーティスト・トーク

伊藤慶二 アーティスト・トーク : 伊藤慶二 x 井上隆生(元朝日新聞編集員)

 2006年9月30日
アーティスト・トーク会場の様子
伊藤慶二展
(井上) 今日は沢山お集まりいただきましてありがとうございます。
どういう訳か僕の所に話がきまして引き受けたのはいいのですが、今非常に後悔しておりまして、もっと的確な方がいらしゃったんじゃないかと思うんですけど。今日は代表して伊藤慶二さんに色々聞こうと思います。
ただ、先日何やりましょうかと打ち合わせに行ったんですけど、特に二人ともアイディアが無くて行き当たりばったりで行きましょうという事になりまして今日を迎えました。
随時私が聞いている間にも皆さんで伊藤さんの方に聞いていただいた方がこの数寄さんの考えた主旨に合うかと思いますので、適宜色々な事を伊藤さんにお聞きいただいた方がいいかと思います。
最初ですが、少し説明しますと伊藤さんですが1935年生まれで私が最初に伊藤さんに興味を持ったのが岐阜県の多治見に陶磁資料館というのがあって、そこに行きましたら東濃信用金庫が慶二さんの作品を買上げてますね。1つだけ非常に変わった作品がありまして、他の焼きものがいわゆる“志野だ”“織部だ”とかいう中に一つだけ《王の祈り》というご覧になった事あるかと思うんですけどあれ石ですか?自然石を形にして。
(伊藤) はい、自然石からコピーした。
(井上) そういう非常に変わった作品がありまして、どうしてこういう変わった人が生まれたのかな?という事で興味を持ちまして取材に行ったのがきっかけで それ以来十数年間作品を見ているんですけど…。
一番ビックリしたのが最初から焼きもの志望ではなかったんですね。
(伊藤) そうですね。
(井上) デザインで?
(伊藤) デザイナーというか絵描きで。
(井上) 油絵の絵描きさんで陶磁試験場に入られてそこで変わられるんですがどうして変わられたんですか?
(伊藤) 試験場での仕事はデスクワークのペーパープランニングって言うのかな?いわゆる形をスケッチする…アイディアをスケッチするのがずっと続いて、その間に自分で成形しようと思い我流で轆轤を始めたのが土いじりのとっかかかりですね。平面から立体に起すプロセスを楽しむ。
(井上) 最初から陶芸家になろうなんて事は?
(伊藤) いや、最初も今も僕は陶芸家ではなく絵描きです。
(井上) 独立されたのが30歳。
(伊藤) そうですね、30歳。
(井上) 独立された時点で失礼ですが変なこと聞きますが、試験場も辞められて公務員ではなくなってもフリーになってちゃんと生活して行けました?
(伊藤) まぁ何とか…その間に窯屋さんで器のデザインもやってたんでそれで生活してました。
器は自分で使って見る事が大切だと思うから焼きもので最初に手がけたのは自分の作った器で食事する事だったんで。だから器からそこへ入ってきたんです。こういう事をやり出したのは井上さんはご存知だと思いますが、朝日陶芸展に第1回、第2回の時に器を出品しました。3回か4回目頃から造形物を出品しその後出していません。
(井上) いや…公募展はいっさい無視していらっしゃると思っていましたが。
(伊藤) そうでもなかったですね。朝日が4回位。毎日展が1回か2回出品しています。その頃は30半ばです。
(井上) 他に公募展が無かった頃ですよね。
(伊藤) そうです。朝日が新しい内容で公募展を始めた。焼きもの専門っていうとね。
(井上) 自分の作品を発表する画廊なんてのはまだ無い頃でしょ?
(伊藤) 画廊はほとんど、でも1976年東京青山のグリンギャラリー(今はありません)、1977年大阪のカサハラ画廊、1978年京都のマロニエで個展をしました。あとは飯わんとゆのみで生活をしてました。
(井上) 《王の祈り》はあれはどういう所から始めれらたんですか?
(伊藤) あれは確か80年代初めから85年位。83年にサンフランシスコで個展をした時の一連の作品です。
(井上) とすると 器と平行していわゆるオブジェの方も発表してたんですね。
(伊藤) うん。絵の方が段々留守になってきて、焼きものを主力に表現しようとしだした頃、京都で走泥社の八木さん、地元では鯉江良二とこの辺の若い人達のグループで器ではない焼きものやったら…っていうのが。
(井上) 今年の夏の直木賞になった「風に舞いあがるビニールシート」という短編集の中で最初「美濃焼の器」というタイトルだったんですけど…本になると「器を探して」と変わるんですけど。要するに東京から女性が美濃焼を探して多治見に来るっていう話で、短編集の中では一番下手な作品でよくこれでもらえたなぁという作品なんですけど…後半良くなって別の作品できっと直木賞をもらったんですけど。
世間一般では美濃焼っていうのとは志野・織部・瀬戸黒等であるという一般的なものを捨てて…。
作ってらっしゃる方はそういうものをしきたりとしているが、伊藤さんの場合全くこういうのはいっさい最初から出てきませんよね。
(伊藤) そうですね。古典的な素材でのもの造りは。
(井上) 最初からそういうのはやるつもりはなかった?
(伊藤) すごく勉強になってるっていうのは古典なんです。で、今の志野の卯花墻[うのはながき]を東京の博物館でロビーのセンターに四方をガラスに囲われたケースの中に陳列してあったのを見た時の感動は…何て自由にかたち作ってるっていうのかな。あの造りの面の変化は凄い。その感動は今だかつて忘れられない。
それで、今の志野・織部じゃなくて古典の織部にしろ陶片を見る方が楽しいですね。今やっている人達には申し訳ないけどね。
(井上) 焼きものを始められて40年位になられるんですけど、未だに一度も志野には挑戦されたことが無い?
(伊藤) ハイ。できない。志野の美しさっていうのは昭和10年生まれの僕には一寸むつかしいと思っている。
(井上) もっと前の人でないと?
(伊藤) それは自分が教育されてくる過程の中に今の志野を知る知識がほとんど無かった。古典のものは窯跡で拾った陶片から直接入ってきますよね。現代の志野っていうのはワンクッションして知る。鈴木蔵がいて志野がある。それから入ってくる。申し訳ないけど…うちの食器棚には志野も織部もない。
(井上) 瀬戸黒も?
(伊藤) うん。“黒”っていう色は巾があり今の僕の作品に大いに影響を得えている。これはやっぱり“ボクの黒”ってのかな?そんな感じで。
(井上) 伊藤さんの世代でも志野というと蔵さんの志野となっちゃいますか?蔵さんの志野を通して志野を見るという事ですか?
(伊藤) だから、さっき言った卯花墻[うのはながき]は直接ですよ。語りかけてくる。
(井上) 伊藤慶二の志野っていうのもあっていいんじゃない?
(伊藤) 何かでできればね。全く違ったモノになっていると思う。“これが志野”って言えるものがあるんじゃないかな。“この黒が黒織部”だって言えればあるかもしれないが。まだまだそれには…。
(井上) 私はずっと陶芸作家の年代順に表に作っているんですけど。伊藤慶二さんと同じ歳ですとね加藤孝造さん、中村錦平さん、小林東五(とうご)さんなど、昭和10年 1935年というのはそういう意味で色々な人がいて面白いんですけど…。
ただ、変わっているのは要するに油絵から入って、途中で焼きものへ来てずっと焼きものをやってというのがご本人としてはどうですかね。
回り道した事が良かったと思われます?
(伊藤) 決して回り道じゃなかったです。というのは油絵やっているときに十分デッサンをして形というのを叩き込まれて。今の人はどうか?皆が皆そうとは言わないけど…ただ、じゃあデッサンが出来る人がなんぼいるかっていうと随分違ってくる。焼きものにしても立体ですから、基本的な構造・造形においての美しさを理解することはちょっと難しいんじゃないかな。その点で美しさに対する基礎的な教育を受けた事においては決して回り道とは思わない。
(井上) 土岐は焼きものの町なんですけど。周辺に最初から焼きものを目指すというような雰囲気はなかったんですか?油絵でなくって。
(伊藤) 無かったですね。家の近くの煙突からいつも黒い煙が出てた。
(井上) 考えると、加藤孝造さんも。
(伊藤) 彼の場合は同じ試験場にしばらく一緒でしたが、彼は絵にしてもオーソドックスなものであって、まったく彼に対して申し訳ないけどモノに対する思考が違っていた事ということではないですか。
(井上) 錦平さんも料理やってみたり、小林東五さんも書をやったみたり…。色々な事をやった方のほうが結局一見回り道のようにみえるけど振り返ってみると焼きものをやる上で良かったんじゃないかと。
(伊藤) 今の歳になっても色気は十分あるので、下手な字を書いたり、その変な茶釜を作ったりするが、焼きものというのはコレとコレしかないっていうんじゃなくって千差万別、その中から自分がどれをチョイスしてきてどういう風にそれをどうかみ砕いていくかっって事なんで、その間に他のアートの要素がどんどん入ってくれば、それは真面目に焼きものだけやっている人より違ってくるんじゃないかな。だから自分の範囲で勿論無理しないで、焼きもの以外のもので興味を持つことは十分大事じゃないかなと思う。
(井上) それで出てすぐ試験場に勤められたんですか?
(伊藤) 出て。24才に試験場に入って、そこでこの前も話した日根野作三先生にお会いして。焼きものとデザインの基本を彼に教わった。
(井上) そうすると 土岐だから誰か目指そうという人がいた訳でなくて。
(伊藤) 全く無いですね。モノとしても無いですね。
(井上) まず器でってことですか?
(伊藤) ともかく自分の生活の範囲内でという事で器。今は違っていると思うんだけど、どこの家庭でも5人いれば5つの飯わんとゆのみがあって、それぞれ1年経つとお正月には新しいモノに変えるという習慣があって。年と共に茶碗の形が変わったりゆのみが変わったりすると子供ながら鮮度を感じた。
(井上) 古いのはどうする?
(伊藤) それはどうするのかな?親達がとって置くのかも?昔から箱膳ってあったでしょ。食卓にしても引出しが付いてて4つ?いや6つ。それぞれの引き出しがあってその中に必ず飯わんとゆのみと箸が入っていて。新しい年に新しい器で。
(井上) 私は瀬戸の生まれで生家は茶道具を売る茶碗屋なんですけど。四六時中同じモノを使っていたんですけど。土岐は違うんですね。
(伊藤) 家族の文化ですかね?習慣の違いですかね?
(井上) また違った慣習を発見しました。今はどうかな?
(伊藤) だいぶ薄れているんじゃなかな?
(井上) 瀬戸は味噌汁も茶碗だったんだけど、どこの家に行っても友達の家へ行っても。最近は木のお椀になったけど土岐はどうでした?焼きものでした?
(伊藤) 焼きものでした。
(井上) 両方とも?
(伊藤) 両方とも。
(井上) 今もそうですか?
(伊藤) 今はどうかな?うちは塗り物です。
(井上) 信州生まれのカミさんが結婚してきてビックリしましてね、この辺では木のお椀が無いって。
(伊藤) もともと椀っていう素材は木で漆を塗ったものです。
(井上) ただ木のお椀の方が安くて焼きものの方が高いからって子供の頃聞いた話ですけど…。
(伊藤) 椀を削る木工の技術は焼きものより進んでいるんじゃないかな。焼きものが後半でてきて、数できるようになって焼きものが使われるようになってお椀が段々姿消していく。
(井上) 話があちこっちいって。そうすると私も不思議に思うんですけど。今、現代陶芸で大活躍中の板橋廣美さんが伊藤さんの所で修行に入るっていうのはどういう経過があったんですか。
(伊藤) 青山の焼きものの店で僕のカップ&ソーサーを見て、彼はその形に興味を持ってくれて。次に見に行ったらそれが無かった。売れたのかって聞いたらそうじゃないと。店のオーナーがこんなに口の薄いカップはすぐに欠けてしまってダメだから厚いのにしてくれと頼まれたが、僕はアレでいいからそう言うのだったら違う人にやってもらったらと言った事を聞いたらしいんですよ。そんな事あって僕の名前が多治見市意匠研究所の講師欄に載っているのを見て意匠研に入る。彼の活躍は彼の豊かな感情表現と技術の開発、真面目な人柄にあるのじゃないか。現在造っているシャモットを使用した作品は彼独自のものです。
(井上) 独り立ちするまで伊藤さんの所で修行していたって事ですか。
(伊藤) そうですね。三鷹へ帰って陶芸教室をやって自立した。
(井上) 常時 伊藤さんの所には若い人がいるんですか?
(伊藤) いや。それから何人かは居たんだけど。50過ぎてからもうそういう人はいません。
(井上) どうしてですか?大変ですか?
(伊藤) 大変ですね。だから焼きものの仕事の中で轆轤6年。土練り3年と。土練り一つにしても僕の性格としてはあまり人に任せられないんですよ。硬いのがあって柔らかいのがあって。そういう土玉作られちゃったらかなわないんで…まぁそんな事あって…無い方がいい。手伝う人はいない。
(井上) もう最近では弟子にしてくれという人は来ませんか?
(伊藤) もうあそこへ行ってもダメだという事になっていて。意匠研を出た子なんか時々話はあるんですけど。もう来ないですね。
(井上) 今 美濃陶芸協会に入っていらっしゃるんですか?
(伊藤) 美濃陶芸協会入ってないです。
(井上) 今入っているとこは?
(伊藤) 今は地元ではゼロです。
(井上) 最初からあまり入る気はなかったですか?
(伊藤) いや美濃陶芸協会はね、出来た当時試験場にいて。確か昭和38年にできたのかな。その時メンバーになれる資格っていうのが多治見市内に在住する者・勤務する者という条件があった。僕は勤務してたので入れた。2年程まぁ一緒にやったんですけど。もう結構です!ってことになって辞めました。だからあそこを辞めた人っていうのはそんなにいないみたいですね。
(井上) 居ても得るところが無いっていうんですか?
(伊藤) そういう集団だったらタクサン!だってこと。
(井上) それ以降ずっと無所属?
(伊藤) ハイそうです。
(井上) じゃあ最近の若い人が入っていけないのはよく理解できるんじゃないですか?
(伊藤) うん、解る。結構シビアに見てるんじゃないかと思う。既成の展覧会に入るためとか地域のクンショウをもらうとかで結局自分のやっていく仕事についてはそれがプラスになるかどうかはきちっと判断して。
(井上) 入らなかったことで別に不利益だったということ無かったですか。
(伊藤) それはありますよ。僕らは全く孤立しました。そうすると今まで頭をさげてきた者にソッポを向かれて非常に辛い思いもしました。だけどそればっかりじゃない訳でして。そうすると 地方の人との交流っていうのが見えてくる。若干美濃にもそういう人が居たんで。
(井上) じゃあそういう団体に属さずにやってきた方が良かったですか?
(伊藤) 僕としては良かったですね。だからそういう組織のあり方っていうのは未だかつて変わってない。
(井上) できた頃と。
(伊藤) はい。
(井上) 逆に若い人に入れと進める必要はない。むしろ入らないで自由にやった方がいいと。
(伊藤) うん そういう相談には来ない。
(井上) IAC会員ですよね。それだけですか。
(伊藤) はい。1980年でしたっけ京都で総会があって日本のメンバーを募った訳ですよね。その時に何人かが僕を推薦してくれて入りました。
(井上) 何か義務付けられてるとか そういう事はなかった?
(伊藤) 全く無いです。だから今は日本のメンバーは30人か40人いるんじゃないかな。
(井上) 例えば何年に一度作品をどっかに送れとかそういう事は?
(伊藤) 無いです。だから今隔年に総会があって開催国で展覧会を催しますので出品します。
(井上) 伊藤さんの作品を見ていつも思うんですけど 茶陶からオブジェからうつわからとにかく焼きものと名につくものを全て手がけてらっしゃると。そこが私は一番いいとこだと思うんですけど。
何か逆の意見とかあります?何かに絞れ…とか。
(伊藤) モノについて掴み所が無いやつだということじゃないですか。素材、技術にしても古典的です。茶陶にしてもあれはごく最近なんですよ。日根野先生がね茶碗でも飯わんと抹茶碗は違うんだと。違いを理解するまでは作るなと。茶碗を作り出したのが60近くになってから、だからちょうど山に薪窯を作ったのがその頃です。
(井上) 今下に飯わんと抹茶碗を出してますよね。伊藤さんなりに違いがはっきりしてきて作られたんですか?
(伊藤) はい。明らかに。飯わんには古くから多くのパターンがあって例えば花鳥風月とかそれから松竹梅とか。そういう模様が使われている。それをそのまま写すんじゃなくってその用式を借りてその意味を考えて描いた。今回出した飯わんにしろ中に模様がいっぱいあるように作ったんだけど。飯わんはご飯を盛って出される。食べ終わった時に中の風景と全体が見えてくる。そんなときには従来の茶碗と全然違った感覚で飯わんを感じられるんじゃないかと。そんなところで今ここに居る人たちも是非飯わんを作って欲しい。僕はもう40年飯わんとゆのみを作っているので。これはなんぼ作ってもあきない。
(井上) 釜から五徳まで作ってちゃって。徹底的な作り方がびっくりするんですが。やっぱりそこまで行っちゃいますか。
(伊藤) あれはね。茶の湯っていうのはね総合芸術だと思うんですよ。用途と素材の表現は、茶の湯をどう観るかでその周囲の道具までも勝手に変わって来るんじゃないか。何も鉄の釜でなくても焼き物でも結構素材としておもしろい。
クドにしても五徳が中に納まったクドだけど収まってるものもピッタリでね。見せるって事もね。いいんじゃないか。そんな事で若干金属も使っているんだけどそれも僕なりの解釈で。
(井上) お茶の場合最初にくるもの決めてそれを中心に作ると、すると今回の場合は何が最初に?
(伊藤) 五徳がありますね。さらにクドと釜との関係の一体化を考える。
(井上) 陶芸家の中にも色々なタイプがいて、例えばオブジェもやられれば器もやれればとなると…加藤清之さんもそうなんですけどあそこまで全部は作られないし。鈴木五郎さんもオブジェも器も茶碗も作るけどあそこまではつくりませんよね。若い方でいくと内田鋼一さんも色々やっているけどあそこまでは…。今のところ徹底して作られるのは伊藤さんだけだと思うんですけど。やっぱり作っていて楽しいんでしょうね。
(伊藤) ええ。それは楽しいですよ。
(井上) 茶碗だけとか水指だけよりも。
(伊藤) 縛られれば縛られるほど自由になりたいと云うのがつくり手の態度です。そうするとああいう茶の湯の世界っていうのはガンジガラメに締めつけているところがある。それを一つづつ解釈すれば何をやってもよい。
それは人間が熟して来た時に。
(井上) そういう年齢としては伊藤さんとしては何歳ぐらいをを境に?
(伊藤) 60位です。
(井上) 何か長年経験してある日突然60になってできるんじゃなくって?
(伊藤) いや それまでには先生が言われたね。50代ではまだまだ我慢しろと。茶碗の外見には興味持つけど実際やってみるとそういうもんじゃない事に気付くんじゃないかと。それがその形として手中にできたときに初めてわかるんじゃないかと。飯わんと茶碗ってのがね。
(井上) またちょっと飛ぶんですけど。伊藤さんのシリーズで「そく(足)」がありますよね。あれはこれが狙いっていうか?
(伊藤) 奈良のあるお寺さんで大きな仏足を見た、それは人間の姿が地に一番近いところにいて人を表現するものじゃないかなって思ったからです。そんなわけで向こうにある作品は「ヒロシマ」をテーマにしたもので、そこにある足はひどく焼けこげた被爆者のボデイです。
(井上) あとヒロシマというのが伊藤さんのひとつのテーマなっているんですが。最近の若い人は時代の事をあまり受け止めてなくてちょっと不満に思っているんですが。伊藤さん位の世代が最後かなって思っているんですが。
(伊藤) 今まで個展の時 色々なテーマをもって個展やってきて、それは僕が絵を描いてきた事でモノの表現っていうのは、1つに統一して一つの塊として発表すればそれがバラバラの作品になりづらい。「ヒロシマ」シリーズっていうのは30才後半から始めていまだかつて続けている。
(井上) 最近の若い人はもっと時代の影響を受けると思うんですけど。
その辺はちょっと割りきちゃっているっていうか。
(伊藤) 思想がないんじゃない。
(井上) その辺がちょっと心配になるんですが。
(伊藤) うん、だからね。塊を作ればいいと…そういうと話は違うが技術的に非常に幼稚なところで作品が出来ちゃうから驚きです。焼きものの技術っていうのは器を作るところから学ぶのだと思う。今の若い人は技術の習得を置いといて表現だけ走ってしまう。どうかな焼きもの自体オーソドックスなものだからもう少し意識して戻ってやるべきじゃないかと思う。
(井上) 1935年生まれですとヒロシマの記憶っていうのはかなり残っているんですか?
(伊藤) そうですね。僕は岐阜市にいて三重県の伊勢市に行って9才の時に今のところに帰った。間もなく親父から聞かされたのはヒロシマに新しい爆弾が投下され一瞬にしてとんでもないことがおきた。何十万人という人が亡くなった。その時の話は後年モノを表現するのに大きな刺激となっている。
(井上) 加藤卓男さんが被爆してらっしゃるんですよね。
(伊藤) 平山郁夫さんもそうですね。被爆者である事にはその姿勢に変りない何かが違う。
(井上) 鯉江さんがチェルノブイリ、その後に続く陶芸家は全くっていっていい位出てきてないですよね。
(伊藤) テーマをもって焼きものに限らず絵にしろ形にしていくことは、僕は10代後半〜20代位に学んだ。デザインっていうとイコール バウハウスになり発信の基点をもってますが、だが今の時代はほとんど特徴が無いですよね。陶芸=?
(井上) 美大ていってもこのごろは女の子しか入ってこないっていうみたいでね。
(伊藤) 女性が最近そういう所に出てきてるっていうのは歓迎しないって訳ではない。縄文、弥生ではほとんど女性が作ったんではないかな。そのものが今も非常に強い感動を与える。本能的に女性はものを作り出す力があるんじゃないか。押さえつけられたところのものがちょっと頭を持ち上げたと云えるかな?
質疑応答1
質問者) 伊藤さんのオブジェを見てみますとすごく性(セックス)というかエロティックな気がするけど。凄くそこのところの創作に対する力っていうのか影響しているのか基になっているのを感じられる。先生ご自身見ているとすごく静かで性のせの字も出してこないけど どういうところに制作の原点になっているのか凄く興味があるんですけど。形としては凄くわかるんですけどそれ以前になぜ作るっていうのか原点にあるもので打ち明けてもらえると。
(伊藤) 僕は評論家でもないし、説明する事は非常に難しいです。僕の作品の内にある。セックスとかは動物的本能から来るテレパシーのようなものに指示され、頭で作る以外に瞬間瞬間とらえている残像がエロティックにものになったり、結果としてセックスな表現になってるのではないかな。
そこに足が1組ある足は男と女のセックスを表現したものです。
(井上) そうですか。私は一度もそういう風に伊藤さんのオブジェを見てそう思ったことがなかったので、ああ色々見方が違うと。
(伊藤) 例えばピカソのエロティカとか非常に具体的に表現してるよね。もう1人日本の作家で北川民次さんのエロチカっていうのは、バッタの交尾するところを図に描きエロを表現している。僕の小さな作品の中にもタイトルが交尾って作品がある。
(井上) 若い人に是非言っておきたい事とかないんですか伊藤さんとして。
(伊藤) 焼きもの以外のものに興味をもって欲しいですね。
(井上) それで 色々な美術館へ行っても最近若い人が減っているんですよね。
(伊藤) 鑑賞する人?
(井上) 男の子が来ない。来てくれる若い人どこへ行っても女の子が多い。色々焼きものをやってる人と話してもあまり人のを見に行かないって。
伊藤さんはあまり人のは見に行かれないですか?
(伊藤) 時々出掛けます。他の美術館でも企画展はよく行きますけど。最近多治見にできた現代陶芸美術館とかいい企画されていて見に行きますよね。
(井上) ある人と話していたら 見に行くと影響されるのであえて行かないって。ああそういうものかと…そういう時期もあるんですかね。
(伊藤) 若いときは完成されているものに影響を受けやすい。だけどそれは視覚的であれは時間が解決するのではないか。
質疑2
質問者) 若い人は思想が無いって言われたけど…自分が思うにちょっと軽いかな?気持ち的に弱いかなって思う。昔のものに比べて弱いかな?思うんですけどその辺はどういうご意見ですか?
(伊藤) 逆にどうして焼きものやってるの?
質問者) よく解らないけど…土が好き。
それは生理的に?山にある土がカッコ良く見えてしまって…それを触っていると何か色々表情を見せてくれるから。
(伊藤) その山 視覚的に山の土を見てカッコ良いって具体的に自分の手で形にする事できるよね。
質問者) できない。
(伊藤) それを形にする事を努力したら。イメージとしてあるんだから形にする事をしたら。どんな技術も要るんだなって事思えば、まずその技術をマスターする事。だから決して回り道じゃないからやってみることじゃないかな。だからあの感動した時の具体的なイメージとしてつかんだかたちを自分の手でもって具体的に立体にしてみる事。それが今のあなたの焼きものの表現にとてもやるべき事じゃないかな。技術的なものを要求しないんだったら、もの派の作家で絵の具をキャンパスにぶっつけて足でかき回して描く非常に肉体的な行動をもって表現することも可能な訳なんで十分できると思う。その辺の所からやっていけば素直に形になっていく。
質疑3
質問者) 先生がおしゃった油絵から入っていってデッサンしてデザインしてすごく良かったというそれ本当なんですね。だからこそ若い人はデッサンしなきゃいけないと思うし。その辺のところは。
(伊藤) アイディアスケッチっていうのがろくにできないんだよ。云いきっちゃって申し訳ないけどそういう人もいるんじゃないかなって。
だから今言ってた山肌をみて感動したっていうならそれを表現するっていうまずスケッチが大事。そっから立体に入っていく。
僕は非常にオーソドックスなモノ作りの姿勢をするので冒険する訳でもないし。その所はベーシックなモノを具体的でやっていく事じゃないかな。
(井上) 岐阜県現代陶芸美術館の渡部さんなにか。
(渡部) 若い人があまり美術館に来なくなったお話がありました。確かに50代60代の人が見に来ることが一番多いので若い人達が見に来てくれるといいと思うのですが。今回若い人が多いじゃないですか。もっと若い方にこの機会に質問してもらえたらと思います。
質疑4
質問者) 伊藤慶二さんとして日根野先生の存在は今どれくらいの比率でしめているものですか。
(伊藤) 僕よりでかいですね。
質問者) 日根野先生の茶碗を拝見しますと参ったなという感じがしますが。
どれくらい影響を受けたか?
(伊藤) 僕先生の影響を100%うけている。彼の信念っていうのはデザイナーとして80年間通したという気骨さ。作品としては樂の茶碗があるんですが。戦後京都の試験所にいた時何もやる事なくって茶碗について色々な文献を調べられた。「片手で持てて、茶を点てる適当なクボミがあればいい。」あとはその形が何を語ってくれるか。エレガントであってその反面きびしいモノであり造形的にもすぐれている事である。大事なことは片手で操作して使えること。それは言ってましたね。
先生が焼きものに興味を持たれたのはペルシャの古陶を見たときである。あれ程自由に「動」「静」が模様に表現されている。織部もよいが織部の中には上手なものと下手なものがあって極端に差がある。それを若い時に見て焼きものにたいへん興味をもったいうお話をされていました。
(井上) 今 瑞浪陶磁資料館で10月29日まで「美濃 陶磁の意匠」展始まってますけどここに日根野さんのことが出てきますのでお暇な方はいかれるといいと思います。
いろいろ出てくるんですが日根野さんの話はたいがい皆さん飲んべで生前葬をやったぐらいしか言われなくて親しくつきあわれた方は伊藤さんあたりが最後なんですかね。
(伊藤) そうじゃないですか。
(井上) あとの方はたいがい名前だけとか。酒の好きな人だったなあで終わっちゃう。
(伊藤) 先生に教えられた僕は本当にラッキーなことでした。
質疑5
質問者) 伊藤さんが作品をつくる上で気持ちの上で心がけていることがあれば教えて欲しい。
(伊藤) 一人よがりになっていいんじゃないですか。自分が満足していないモノは他の人にも満足させれない。まず自分があって自分が使って納得してみて、それではじめてその楽しさを他人に与える事ができる。まず自分の為に作られた方がいい、そして常に現代のものである事がまず大切で他のアートとの関係、生活空間、住空間に楽しみをもちあわせるものである。
(井上) 最後に今の質問に答えられるかもしれませんが。「陶磁の意匠」展を見に行きまして日根野さんの言葉が壁にかけてありましてちょっとおもしろいことが書いてありましたので読まさせていただきます。
良く売れる商品とはのタイトルで6項目ぐらい書いてあるんですけど
1.必要性があること。
2.適正な価格であること。
3.使ってみたくなる気持ちを喚起させること。
4.特異性があること。
5.現代の機能とセンスを備えること。
6.新鮮味があること。
これ良く考えると伊藤慶二さんの作品にピッタリはまってるかなぁと思います。
私は全く…文字を書いているほうで。
30行を40行とかはすぐにできるんですけどこんな話を聞きだすことは全く初めての経験でして。
伊藤さんを前にあまり引き出せなくて大変失礼致しました。
今日はどうもありがとうございました。
伊藤さんとおいでいただいた皆様にお礼を申し上げます。
『無断転用禁止』
数寄マーク
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